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翠渓会関東圏本部・関東南部支部支部釣行【第二十八陣】3

翠渓会関東圏本部・関東南部支部支部釣行【第二十八陣】3 1

翠渓会関東圏本部・関東南部支部支部釣行【第二十八陣】3

『夏の思い出・・・秩父の渓流・浦山川水系』

浦山郷の渓・ダム湖に沈んだ浦山渓谷と残存のイワナたち

■浦山渓谷を水没させた浦山ダム

浦山ダムは埼玉県秩父市浦山地先、荒川水系浦山川に建設されたダムである。
荒川は1947年(昭和22年)のカスリーン台風以後、建設省(現・国土交通省関東地方整備局)によって「荒川総合開発事業」が進められ1961年(昭和36年)には荒川本川に二瀬ダムが完成した。だがその後1967年(昭和42年)にも流域は大水害の被害を受け、更なる洪水調節の必要性に迫られた。一方首都圏の水需要が逼迫してきた昭和30年代以降、東京都の水源を多摩川水系から利根川水系へ移行させようとしていた建設省は利根川水系を「水資源開発促進法」の水資源開発水系に指定。「利根川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)に基づき水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)が中心になってダム等による水源整備を推し進めた。だがその後も首都圏の人口増加は青天井の状況が続き、利根川水系では何れ限界が来るのは目に見えていた。このため古来より水需要での関連が深かった荒川水系においても水資源開発の重要性が高まり、1974年(昭和49年)に荒川水系は利根川水系と一体化して水資源開発水系に指定された。建設省は既に浦山川に1972年(昭和47年)より浦山ダムの予備調査に入っていたが「利根川・荒川水系水資源開発基本計画」の変更に伴って滝沢ダムと共に1976年(昭和51年)10月に水資源開発公団に事業が移管された。

■秩父さくら湖として
ダム湖は「秩父さくら湖」と命名され、春には湖畔にサクラが咲き乱れる。ダムも本体内部を始め1994年(平成6年)の「地域に開かれたダム」施策に基づいて一般に積極的に開放されており、多くの観光客が訪れる。また、この一帯は秩父三十四箇所観音巡礼の札所が多いため、巡礼客の姿も絶えない。西武秩父駅からも比較的近く国道140号からダムの壮大な姿を望むことができ、逆にダム天端からは秩父市内を一望することが可能である。 ダムの最下部に入り口がありそこに入ると資料が展示してある。そこをずっと進んでいくとエレベーターがありダム最上部にあがることができる。またエレベーター付近にはダムの水圧を体験できる機械がおいてあり誰でも自由に使用することができる。


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■日本渓流会本部代表執権取締役【翠月:suigetsu】
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