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東北地方のマタギと山師たち2 名著・東北の温泉と渓流

東北地方のマタギと山師たち2



『名著・東北の温泉と渓流』と東北一の渓流釣り名人・阿部武氏の踏跡を訪ねて…

「伝承の里・山師たちの軌跡」

マタギ達の足跡は東北、北海道、関東北部〜北陸〜中部地方まで及んでいる。彼らは山を神として崇め、動物の捕獲も乱獲はしない。マタギはイワナ釣りもするが、職漁師となって住み着いた人もマタギや山師の子孫である事が多い。山師達の痕跡は全国至る所にあるが、彼らの高度な技術と全国区の情報は国が分裂していた戦国時代には特に重要視されていた。秀吉がサンカの出自で藤原氏の子孫を名乗っている拘りにも、彼が武力より諜報戦を得意とし暗躍した集団と関わりがあったからだ。戦国期に活躍した「忍び」の物達も中央権力や地方の有力大名の栄衰と運命を共にした。金山発掘の為、鉱山師を多用し戦国期に巨大な王国を築きあげた武田氏は真に「金山大国」で、影で暗躍した忍や山師達が多くいた事はよく知られている。山の民の情報を活用した時の権力者は多かった。その中央政権は江戸期までは京都を中心とした近畿圏が中心で、中央からみれば、東北や関東などは田舎扱いの地方だった。マタギは東北地方から日本海側にはかなり進出しており各地でその足跡を見る事ができる。マタギ達によってイワナも源流域では移しイワナとして、近代の伐採植林事業が発展する以前に放流されている。ブナの森には豊富な水があり、イワナがどこにでも放流する事ができた環境はあったはずだ。今なお人知れずイワナの宝庫が眠っているかもしれない。マタギ達は独自の文化や約束事を持っているので、知られていない移植イワナの谿があってもおかしくない。彼らも生きる為に放流をしていた。以前書いたが廃坑の鉱山跡などには誰も行かない。当時は山師達によって築かれた山岳地帯に大規模な鉱山集落もあった。阿仁マタギにも鉱山があり、偶然ではない。山師達は山の資源を匠に利用してきた集団だ。狩猟で遠征する場合も多いが、資源があればそこに住み着いて定住する。マタギだった人物が木地師となったりしている。釣りキチ三平に出てくるコバルトマスの木地師親子も、実はマタギが山に住み着いた後裔の姿を描写したのではないか。東北各地に残る地名や伝承からもマタギ達の多くの痕跡が伺える。



■参考文献
秋田県阿仁町打当
・山達根本之巻

狩猟集団マタギの山狩り手法の家伝書。所謂、お家の秘伝書巻き物。マタギの子孫が継承していた。

・熊と雪崩
秋田市無明舎
新林佐助著 

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