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翠渓会関東圏本部・関東南部支部支部釣行【第二十一陣】3

翠渓会関東圏本部・関東南部支部支部釣行【第二十一陣】3 1

翠渓会関東圏本部・関東南部支部支部釣行【第二十一陣】3

『春の上信越国境・四万川水系』

残された渓、忘れられた渓 移しイワナの子孫たち

■「隠し沢」にある移しイワナの楽園郷

昔の旅マタギ流れの職漁師たちは草津温泉や四万温泉の宿に注文の魚を卸していた。羽州や越後から来た旅マタギ流れではない元々地元に代々住んでいた木地師や猟師も職漁師を兼ねている場合もある。彼らも昔は落人だったり他の地域から移住して住み着いた人々の子孫である事も少なくない。職漁師たちは当然安定した釣果を求められる訳で、ただ職漁の釣りをしていたのではない。マタギたちの『移しイワナ』を応用し自分たち独自の「隠し沢」に漁場を持っていた。型は食べやすいサイズでまずは一定の数を揃えるのが職漁師だ。その様な魚を増やせる隠し沢は増水で流されてしまうような廊下を持つ厳しい沢でなく、どちらかというと平凡な沢で、開けた渓が多い。また下流が滝でもその上に放たれた岩魚もいる。開けた渓で最も釣果の挙がる釣り方・・・彼らは餌も使うが効率の良い【毛鉤釣り=テンカラ】での釣法だったのだろう。平凡な沢や開けた沢の方が毛鉤釣りには好都合だ。
そういった移しイワナの子孫を求めるならまずは読図とマタギたちの足取りを追うことになる。ヒントはマタギたちが使う地形語と山師たちの痕跡にある。地図に無い職漁の「隠し沢」への道・・・昔の人は正確な地図もないのにどうやって地形を読んでいたのか・・・? 不思議であるがマタギたちは独自の文化(言葉や地形語等)を持っていて東北〜越後〜上信越方面、遠くは越中までその子孫たちの痕跡がある。山の民の広大なネットワークは一般庶民には到底分からない独自のルートも持っていた。その隠し沢には未だにイワナの子孫たちが息づいていた。

■秋田マタギの里『阿仁マタギ』

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■関東圏基幹G本部統括本部長・関東管領
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■翠渓会本部会評定衆
■日本渓流会本部代表執権取締役【翠月:suigetsu】
■翠渓会HP:   http://www.suikeikai.jp
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